コラム

コミュニケーション様式に思いを巡らせる

新型コロナウイルス感染症の流行下においては、人との接触を最小限にすべく、遠隔で可能であるならばそれで対処しながら、日々の仕事や生活を工夫して行う事が重要です。
密を回避するという目的から、ソーシャル・ディスタンスを取るという、これまでにない行動様式が求められる様になりましたが、これは公衆衛生戦略で使われる用語であり、社会学で用いられる、特定の個人やグループを排除する意味のそれとは区別する必要がある様です。とは言いましても、「社会的距離」という言葉を、ウイルス蔓延防止に使用する事に、個人的にはいささか疑問を感じています。
対して、フィジカル・ディスタンス(=物理的距離)という言葉は、コミュニケーション様式のひとつの在り方として、こちらの方がよりしっくりくるという気がしますが、ただこれらの2つの言葉の意味するものに、相違はないのであろうと思われます。

さて、接する人との距離は、どの位を保つ事が理想でしょうか。
日本では2mが妥当とされていますが、他国を見てみますと、オーストラリアでは1.5m、アメリカでは1.8m、フランスも同様の1.8mとなっており、イギリスでは2mをキープする様に指針では推奨されています。
ふと、パリで暮らしていた頃を思い起こしますと、誰かと初めて会うにしても、まだ打ち解けていないうちから、会話をする折には、非常に近づいている事を感じていました。
そして、初対面での握手や、親しい関係となってから行われるビズ(=互いの頬と頬をくっつけ合ったり、相手の頬にキスをしたりしてかわす挨拶)にも見られますが、他者と体が触れ合う機会は、日本と比較すれば、遥かに多いものでした。
これは、ラテン系の人々のコミュニケーション様式から来るものですが、イタリア人やスペイン人と交流を図る際には、パーソナル・スペースが更にフランス人よりも縮まっていた事を記憶しています。
一方、ロンドンの暮しでは、例え友人同士でも、意見をダイレクトに言う事は控えなければなりませんし、また血の繋がった家族でもない限り、決して本心を話さないため、そうした精神的な距離を取るという方法が、そのまま身体間の距離にも表れている様に思われました。
これらの実体験から、それぞれの国で求められるフィジカル・ディスタンスの違いを、なるほど興味深いなあと、納得しつつ理解したのでした。

フランスで、周りの人とは心も体も近く、温かい営みの中で過ごした後、帰国した折には、一般的に日本で取られる少し他人行儀的な距離に、懐かしさを感じるどころか、「あれ、こんなだったかしら…?」と淋しさを覚えたりもしましたが、ローマに行ったらローマ人のする様にせよ(=郷に入っては郷に従え)ですから、どちらのスタイルも正当性があると言えるのでしょう。
そして、新型コロナウイルス感染症拡大の防止のためには、家族以外の人との体の触れ合いが極端に少ない、我が国のコミュニケーション様式が、何かしらのアドバンテージをもたらす様に期待出来るのではないかと思うのです。
会釈という、人に触れずして、挨拶を美しく行う方法は、ウイルスを移さない、そしてもらわないという事を目的とした、現況においてきわめて理想的なコミュニケーションの在り方であると確信します。
お辞儀に関して、少しだけ調べましたら、奈良から飛鳥時代に掛けて中国から伝わったとの事ですが、首を曲げて相手に差し出すという行為で、「あなたを敵とみなしていませんよ」という好意的な意思表示を意味するのだそうです。
これは、握手のメッセージである、「私は武器を持っていませんよ(=だからあなたの手が握れるのです)」と共通した所がありますね。

ともかく、フィジカル・ディスタンスは維持する事を心掛けるとしても、時にぎすぎすした人の心が、寄り添う事を忘れ、不必要に距離を取ろうとして、周囲を排他すると言った愚かさを生まない様に… コロナ渦においては、日々不安に晒されているからこそ、より冷静に対処出来る術を身に付けたいものです。






2020.05.28 23:45

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