コラム

“中庸”の哲学の難しさについて

孔子の論語に、教えとして次の様なものがあります。
「子曰く、中庸の徳たるや、それ到れるかな」
人間は過不足なく、適度なバランスを持って行動出来るという事が徳として最高だ、という意味になりますが、それは単にどちらかに偏った状態の真ん中の、中間が理想だ、と言った単純なものではなく、思考の上での判断のもと、理性を用いて行動する事が重要であるという様に説いています。
アリストテレスも、中庸を「メソテース」という言葉で、同様の事について語っています。

何事も、程度の上下、大小また強弱や、感情においての両極端の行き過ぎにならない、という哲学は、真に実行するとなれば大変難しいものである事は間違いありません。
私自身は、いつも白か黒のはっきりした状態か、或いは0か100を希求してしまう様な、人間的には大変未熟な者ですから、一体どの様に“中庸”を実現出来るのか、自ら実践を想像する事自体がまさしく困難なのです。

先日、或る催しで、日本の緩和ケア医療の礎を築くべく力を注がれ、現在も最前線で活躍しておられる医師の先生から発せられた、そのシンプルですが深いお言葉が大変印象に残りました。
「私は、何が起きても、“まぁ良しとしようじゃないか”、と思いながら、日々暮らしているのですよ。」

起こるべくして起こった事象には冷静に対処し、自身の感情が振り回されない様にする事、また何事も受容して(否定する方が易しいですが)、肯定して生きる事の哲学について、貴重な教えを頂いた様に感じました。
これまでに数千人を看取られたというご経験から、人が生ききるという事、それぞれの一生の在り方について、常に深い眼差しを注がれ、見守り続けておられる方の、重みのあるお言葉は真に心に響きました。

人間は、どちらかに行き過ぎている状態を保つ方が、かえってたやすくあり、何故ならそれだけ考える事を多く必要とはしませんから、思いのままの、即ち過剰である事の方が安易であると言えます。
年齢を重ねて、人生を達観する所まで到達すれば、果たして中庸の哲学を私にも取り入れる事が少しだけ可能になるでしょうか。


2016.04.29 23:35

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