コラム

in personという言葉の意味と価値を考える

さて、2021年も残す所、僅かとなりました。
依然として、人々はコロナに翻弄され、悩ましい共存生活を余儀なくされていますが、皆様はこの一年を振り返られて、どの様な年でしたでしょうか?
変異を続けるSARS-CoV-2の勢いは、一向に弱まる気配がありませんが、幸いにもウイルスに関する知見が集積され、ワクチン接種が可能となった事で、共存するというステージから、次第に人間がコロナを手なづけるというステージへ移りつつあるのかと、個人的には感じています。

さて、英語に「in person」という言葉があります。
日本語に訳しますと、「対面で」という意味になります。
感染拡大予防を実行すべく、人々の最強のコミュニケーション・ツールとして、今やなくてはならないものとなった zoom 等の機能は素晴らしいもので、どれほど遠く離れていようとも、お互いの顔を見ながら会話を行う事ができ、また国内外を問わず開催されるオンライン学会では、リアルタイムで最新の知見を得られるツールとして最大限に活用され、これほど優れたものは他にない様に思われます。
ただ、パソコンやスマホの画面に映る相手の顔を見る事はできても、互いの視線を合わせられないという問題があり、情報伝達には不自由しないのですが、何と言うのでしょうか、心が通じ合う、という感覚を持つ事が少し難しい様に感じられます。

例えば、医療機関のコンサートに関して、コロナ禍では、患者様に自身の演奏の動画やCDをお贈りする等させて頂いていますが、やはり理想は「in person」という形式で、人と人との対面で行われてこそ、こうしたコンサートではセラピーとしての役割を果たせるのではないかと考えています。ヒポクラテスの「音楽の持つ力そのものが病いの癒しになる」というのは、紛れもない事実ですが、やはり患者様がいらっしゃる空間に奏者が足を運び、生の演奏をお届けして、その場に集う者同士で心の交流が行われる事、つまり生身の人間同士のふれあいというものこそに、セラピーとしての意義があるのではないかと思うのです。

現在、一流のアーティストによる多くのクラシック・コンサートの配信が行われ、それが当たり前の様になりつつあります。しかしながら(私が昭和の時代的なアナログ人間であるのを横に置いても)、動画がライブ演奏の価値を超えられる事はないと確信します。単に音を聴くという行為はできても、音楽というひとつのアートを鑑賞するという行為は、パソコンを通しては成し得ません。

ウィズ・コロナの生活様式における「変」は、良いものもまたそうでないものも混在していますが、期待されるコロナ収束の後には、また想像もしない新しいツールが登場し、人々がいっそうバーチャルな形で、お互いの繋がりを感じられる様になるかもしれません。はたまた、「どこでもドア」が実現化され、瞬間移動をも可能となる日が、そう遠くないうちに到来するのかもしれませんね。

本年も、ウェブサイトにアクセス頂き、拙いコラムをお読み下さいまして、誠に有難うございました。貴重なご感想や、応援のメッセージを頂戴しました、多くの読者の方々に深謝申し上げます。
来る年は、人々がコロナ以前の暮しの自由を取り戻し、再び平穏な日々が訪れる事を願っております。皆様には幸多き年となります様、心より祈念致します。

2021.12.31 23:55

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