コラム

「分かち合う事」は出来るのか

例えば、中華やイタリアン料理のレストランで食事をする際に、大きなお皿に盛り付けられた料理を、皆でシェアして頂くのは、大きな醍醐味のひとつですね。
様々な味にトライ出来るのみならず、何より仲間と共有して頂ける事に、楽しみも倍増しますし、お互いの距離も、より一層近くなる事が叶うのですから。
同じ場所で、そこに存在する時間と、満たされる味覚の幸福感が分かち合える訳です。

ドイツの諺に、次の様なものがあります。
「苦しみを分かち合えば、それは二分の一になる。
だが、幸せを分かち合えば、それは二倍にもなる。」

素敵な諺ですが、一体目に見えないものを分かち合う事が、本当に出来るのでしょうか。
とりわけ、人間が抱く感情に対してです。

「一を聞いて十を知る」であるとか、「以心伝心」を美徳とする日本人には、いつも相手に何かを察してもらう事を、過剰に求めているのではないかと、感じる事があります。
相手には言わなくとも、それは承知で分かっているはずだろう・・・ 
そして、その期待が大き過ぎてはずれてしまうと、かえって失望感がわいてきます。

欧米の方々と接して、学んだ事があります。
彼らは、自分以外の他人とは決して分かり合えない事を大前提として、常にコミュニケーションを図っているという事です。
ひとつの国が、他民族、他宗教から成っているのですから、至極当然の事ですね。
他人が自分とは違うという事を、常に意識して、またそれを自然に受け入れて暮らしているのです。
ですから、いつでも意見をクリアにして率直に述べる、即ち自己主張ばかりしているかの様に見えて、実は相手の伝えようとする事にも、大変熱心に耳を傾けている訳です。
従って、彼らにとっては、相手に分かり易く述べる、という事がとても親切な事であり、大切な礼儀のひとつとなり得ます。
欧米の方々は、その様なプロセスで気持ちを表現しますから、感情をシェアする事にも、大変長けていると実感しています。

嬉しい時、哀しい時、果たして日本人はどの様にその気持ちを分かち合う事が出来るでしょうか。
言葉で伝える事、また真に理解する事が容易ではないにしても、純粋に受け止める心、また意識があるだけで、随分と変わってくるはずです。
我々は、どうやら自らを表現する術を持たずして、またそれかと言って相手を受け入れる準備もないまま、他人(ひと)は分かってくれないのだ、と嘆いている事が多いですね。
いささかエゴイスティックな面を、自戒の念も込めて、少し見直して改めなければならないのかも知れません。

2013.05.26 20:35

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