コラム

「上手い」は「美味い」? うまいの共通点とは

私には、​忙しい会社勤めの時間をやりくりして、合間に趣味である楽しみのピアノを嗜む男女の友人が幾人か居ります。或る時そのひとりが、静かに呟きました。

「いつの日か僕も、“この演奏家はこの点が優れていて素晴らしかった”とか、“その演奏はそれが理由で良いとは言えなかった”とか、わかる様になる日がくるかな?」

何せ、自由になる時間の少ない彼は、細切れの時間でさらう為、1曲を1年掛かりで仕上げる様な事もありますが、ショパンやラフマニノフのプレリュードが大変好きで、発表会にも積極的に参加する等、楽しみとは言え、彼なりの向上心を持って取り組んでいます。

生来理屈好きの私自身と、十代の頃にはサルトルの様になりたくて哲学を学んだ、私の500倍はあろうか、それこそ頭の中は理屈の塊のみで出来ているのではないかと思われるその友人との話が膨らみ、最後には「では良い演奏の定義とは一体何なのか」という議論にまで発展しました。


とりわけ、欧米ではどの様な些細な事についても、子供の頃から自分の意見を持って批評出来る事が重んじられ、その人物の評価に繋がります。

何故なら、何事も論じる点について、ある程度の知識というものがなければ、批評は為しえないからです。


ところが、このフランスの友人にとって、自分はクラシック音楽の様々な曲について理解は多くあるけれど、果たして何を拠り所に人々は演奏について実際に論じているのだろうか、という点がそれまでの最大の疑問でした。


曲りなりに突き詰めてみますと、まず音から生まれる音楽は、耳で聴き脳によって知覚されるものですから、第一にその人自身が心地良いと感じられるか否かの、極めてシンプルで主観的な判断より始められるものではないかと考えます。

そしてまた、ホールで舞台上の演奏を鑑賞するならば、視覚的に好印象であるか否かという点も、大なり小なり関わってくるでしょう。

加えて、音楽に対する専門的な知識(その作品が作られた背景や、相応しい演奏のスタイルを予め知っておく事)は極めて重要です。

しかし、最終的には、やはりどの程度その演奏が人間の感覚へ訴えかけてくるか、音楽を聴いて何か感じ得るものがその人の中に存在したか否か、まさに最大の要はその一点に尽きるのではないでしょうか。

素晴らしい演奏を聴いて、思わず涙が溢れる、感動で熱くなる、金縛りの様に体が動かなくなり、あまりの美しさに釘付けになってたちまち魅了される… また反対に、癒されて心が穏やかになり、魂が浄化されたかの様に安らかな気持ちになる…

この様な感動をもう一度体験してみたいと心から感じられる時、真にその演奏は名演と言えるのではないかと思われるのです。


例えるならば、クオリティーの高い演奏は、言わば絶品のお料理とどこかしら共通しているのかもしれません。

真に美味しいお食事を味わった後は、人は理屈等多くは語らないものです。

一口頂いて、思わず「何これ、美味しい!!!」と言葉がもれてしまう様に、やはり舌で味わう感覚が先に来て、頭で多くを考える余地は、味を感じた瞬間はほとんどないのですね。


理屈好きの二人が議論をしてみた所で、芸術というのはあまりにも奥が深く偉大ですから、言葉で説明の出来るサイエンスとは一線を画して、小さな存在の人間が定義づけを出来る程たやすいものではないのだという事を、改めて認識したひとときとなりました。





2015.05.26 22:05

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