コラム

絵本と共に過ごすひととき

絵本と言えば、子供のための読み物である事に間違いはないが、享受し得られる喜びは、彼らだけの特権ではあるまい。

私は、施設や病院で過ごす子供たちへ、ささやかなギフトとして、海外の絵本をお贈りする事がよくある。
その時のために、イギリスに住む友人から、様々なアドヴァイスをもらって、本を選んでいる。
日本で購入できないものに関しては、エアメールで郵送してくれる事もあり、手にしていつも初めに目に飛び込むのは、豊かな色彩感に溢れた絵の圧倒的な美しさだが、それに勝るのは、一見するとシンプルなストーリーの実は奥深さであり、一冊の絵本に感動さえ覚え、心打たれる事もしばしばである。

実際に絵本に書かれてある文章は、ごくわかり易い、小学生でもすぐに理解できる様なものだが、さてそこには一体何の大切なメッセージが隠されているのか、考えながら読むと興味は尽きない。
主人公やその仲間たち、家族は、人間や動物の姿で、何を伝えようとしているのか。
それらに表される比喩は、果たして何を意味するのだろうかと、大人は夫々に辿ってきた人生の道と照らし合わせて解釈すると、面白さは無限にまで広がってゆく。

私自身は、殊にイギリスのアイロニーを好むので、是非ともお薦めさせて頂きたいのは、次の二作品である。
「おちゃのじかんにきたとら」、そして「せかいいち(ふ)しあわせなおさる」
(ふ)しあわせな、という括弧付き言葉のタイトルも、イギリス風で何とも洒落ている。

前者は、邦訳本が出版されているので、日本でも大変知られている作品かと思う。
女の子とお母さんが、おやつの時間に、(やはりイギリス人らしく!)午後の紅茶を楽しんでいたら、突然大きな、とても礼儀正しいトラがチャイムを鳴らして家に訪れ、そこからストーリーが展開し、思わぬ事態になるというもの。
トラは次々とリクエストしてゆくのだが、三者の会話のやりとりとそのエスプリには、大変心温まるものを感じる。

後者は、最近読んだ作品の中で最も心に響いた、素晴らしい絵本である。
冒頭のおさるとその親友のペンギンのふたりのやりとりからして、我が事に置き換え思わず苦笑し、頷いてしまう情景である。

おさるがひとりで、しょんぼりとふてくされながら、にんじんをかじっている所を見たペンギンが驚いて駆け寄り、「どうして、今日はバナナじゃなくて、にんじんなんか食べてるのさ?」、と心配して尋ねる。
「だって、あったバナナが全部なくなっちゃったんだもの・・・」と、寂しげに答える。

「おさる」の作品からは、とかく人間は失ったものに対する悲しみに囚われ過ぎるあまり、すぐ身近に存在する人やものの尊さが、およそ目に入らない状態であるという、人間の性(さが)をマイルドにかつ的確に表現した、何処へさえもやり場のない「喪失感」としての感情というものが、ひしひしと伝わってくる。
読み進みながら、思わず涙がこぼれてしまった程だ。

物語の最後には、(ふ)しあわせの(ふ)が必要でなくなり、その理由は読者の想像の中で解き明かされて・・・ 文字通りハッピーエンドに辿り着くというもの。
(邦訳は未だなされてない様ですが、ご興味のある方は、どうぞ私までご一報下さい。
是非とも、原語でのオリジナル本をご覧頂けたらと思います。)

“絵本セラピー”という言葉がある様に、大人がこうして本来あるべき子供の世界で、過ぎ去った幼き時代のノスタルジーを感じながら、しばし哲学的な時間を持って、心癒される事は、大きな人生の潤いとなり、かつ有意義な体験であると、今日もまた一冊の絵本を手にして思った。




2014.03.29 22:50

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