音は可視化できる?
私がピアノ演奏としてフランスで学んだ重要なもののひとつに、「音の色」があります。
音に色とは、なんぞや?、と思われる読者もいらっしゃるかと存じますが、確かに日本語でも音色という言葉は存在しており、しかしながらそれは、音の色、カラーという意味とは異なるのですね。
この音の色、色彩感と言われるものは、楽譜に書かれた音の強弱やリズム、テンポの正確性を表すだけでは不十分で、指先の感覚、つまりタッチによって追求されるべきものであり、言葉で表すとなかなか難しいのですが、一つひとつの音に色を作る事を試み、その作品に相応しい色彩を音で表現する事を、フランス奏法においては非常に重視するのです。
それによって、シンプルな旋律でさえも、表情や奥行きが出る事は言うまでもなく、立体的な音楽が実現できる訳ですが、ピアノという楽器の本来は打楽器的な無機質な音が、音の色を研究する事で、人の喜怒哀楽であるかの様に、豊かで無限な表情を持つ音を奏でる事を可能にします。そしてそれは当然、奏者の技術や感性に拠る所が大きく、同じ楽器から全く異なる音が聴かれるのは、それが理由でもあるのですね。
とりわけフランス近代作品には、パステルカラーの様な音をはじめ、様々な音の質感をも求められるため、ドビュッシーやラヴェルと言ったフランス音楽と色彩の関係は常に密着したものと言えます。
色を作るとは、まるで画家が絵画を描く様ですが、音を可視化する、と言いますと少し大袈裟になりましょうか…
過去の歴史的大家の演奏に耳を傾けていますと、例え古いレコードやDVDであっても、その音がまるで見えてくる様に思われるものです。
例えば、鍵盤の魔術師と言われたホロヴィッツは、一音の持つ圧倒的な存在感を音の色から感じ取る事ができますし、またコルトーも色彩感や、音の香りというものを最重要視していた一人でした。彼は、弟子達に、一音一音が全て異なる色や表情を持つべきであり、音が全て均一で平坦であっては決してならないという事を、常日頃から伝えていたそうです。
そのレベルまで到達するのは至難の業ですが、私自身も曲がりなりに色彩について追求していますと、音の色、という言葉もよく考えてみれば、大変抽象的である事に気が付きます。
子供の頃、友人達と一緒に、ドレミファソラシド、のそれぞれの音名は何色が相応しいか、ピアノの前で言い合いながら、遊んでいた記憶があり、その遊びが面白くなって、友人以外の周りの大人にも尋ねてみると、意外にも音名と色が、皆、似通っていたりする事に少し驚きました。
果たして、人は音を、色や、何かしら目に見えるもので捉える事ができるのでしょうか。それは、ただシンプルに音のイメージとして頭に浮かんでくる色を言っているに過ぎないのでしょうか。
人間の脳にはそうした事を可能にする機能があるのだろうかと考えてみました。
確かに、共感覚を持っていらっしゃる方は、全ての音を聴くと、色が見えると仰います。
共感覚とは、或るひとつの感覚刺激に対して、複数の感覚が同時に自動的に引き起こされる現象を指します。五感の相互作用と言えるもので、先天的に、或いは後天的に脳の感覚処理の特性として得られるとの事です。それは音のみではなく、例えば、文字から色が見える方や、或いは音に味を感じられる方も存在します。
私の知り合いにもいますが、何の楽器でも、ドという音を聴くと、毎回、必ず同じ色が目の前に広がって、それは一貫性を持つのだそうです。
その様な、或る種の固定化された色彩というよりは、音楽作品の表現というコンテキストでの「色が見える」は、もっと流動的で、単純に言えばアーティスト個人の中でも変化し得るもの、より主観的で、演奏している時の心理状態にも影響され得る部分が多少なりともあるのかもしれません。
人が音を「見る」という事が、これから更なる科学の進歩により、何らかのかたちで証明できるのでしょうか、或いは可視化を通して、音の普遍性というものが存在するのかに関する問いへの答えが得られる日を、是非とも期待してみたいところです。
音に色とは、なんぞや?、と思われる読者もいらっしゃるかと存じますが、確かに日本語でも音色という言葉は存在しており、しかしながらそれは、音の色、カラーという意味とは異なるのですね。
この音の色、色彩感と言われるものは、楽譜に書かれた音の強弱やリズム、テンポの正確性を表すだけでは不十分で、指先の感覚、つまりタッチによって追求されるべきものであり、言葉で表すとなかなか難しいのですが、一つひとつの音に色を作る事を試み、その作品に相応しい色彩を音で表現する事を、フランス奏法においては非常に重視するのです。
それによって、シンプルな旋律でさえも、表情や奥行きが出る事は言うまでもなく、立体的な音楽が実現できる訳ですが、ピアノという楽器の本来は打楽器的な無機質な音が、音の色を研究する事で、人の喜怒哀楽であるかの様に、豊かで無限な表情を持つ音を奏でる事を可能にします。そしてそれは当然、奏者の技術や感性に拠る所が大きく、同じ楽器から全く異なる音が聴かれるのは、それが理由でもあるのですね。
とりわけフランス近代作品には、パステルカラーの様な音をはじめ、様々な音の質感をも求められるため、ドビュッシーやラヴェルと言ったフランス音楽と色彩の関係は常に密着したものと言えます。
色を作るとは、まるで画家が絵画を描く様ですが、音を可視化する、と言いますと少し大袈裟になりましょうか…
過去の歴史的大家の演奏に耳を傾けていますと、例え古いレコードやDVDであっても、その音がまるで見えてくる様に思われるものです。
例えば、鍵盤の魔術師と言われたホロヴィッツは、一音の持つ圧倒的な存在感を音の色から感じ取る事ができますし、またコルトーも色彩感や、音の香りというものを最重要視していた一人でした。彼は、弟子達に、一音一音が全て異なる色や表情を持つべきであり、音が全て均一で平坦であっては決してならないという事を、常日頃から伝えていたそうです。
そのレベルまで到達するのは至難の業ですが、私自身も曲がりなりに色彩について追求していますと、音の色、という言葉もよく考えてみれば、大変抽象的である事に気が付きます。
子供の頃、友人達と一緒に、ドレミファソラシド、のそれぞれの音名は何色が相応しいか、ピアノの前で言い合いながら、遊んでいた記憶があり、その遊びが面白くなって、友人以外の周りの大人にも尋ねてみると、意外にも音名と色が、皆、似通っていたりする事に少し驚きました。
果たして、人は音を、色や、何かしら目に見えるもので捉える事ができるのでしょうか。それは、ただシンプルに音のイメージとして頭に浮かんでくる色を言っているに過ぎないのでしょうか。
人間の脳にはそうした事を可能にする機能があるのだろうかと考えてみました。
確かに、共感覚を持っていらっしゃる方は、全ての音を聴くと、色が見えると仰います。
共感覚とは、或るひとつの感覚刺激に対して、複数の感覚が同時に自動的に引き起こされる現象を指します。五感の相互作用と言えるもので、先天的に、或いは後天的に脳の感覚処理の特性として得られるとの事です。それは音のみではなく、例えば、文字から色が見える方や、或いは音に味を感じられる方も存在します。
私の知り合いにもいますが、何の楽器でも、ドという音を聴くと、毎回、必ず同じ色が目の前に広がって、それは一貫性を持つのだそうです。
その様な、或る種の固定化された色彩というよりは、音楽作品の表現というコンテキストでの「色が見える」は、もっと流動的で、単純に言えばアーティスト個人の中でも変化し得るもの、より主観的で、演奏している時の心理状態にも影響され得る部分が多少なりともあるのかもしれません。
人が音を「見る」という事が、これから更なる科学の進歩により、何らかのかたちで証明できるのでしょうか、或いは可視化を通して、音の普遍性というものが存在するのかに関する問いへの答えが得られる日を、是非とも期待してみたいところです。
2025.07.15 23:35
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