コラム

日本語は難しい

東京で働き始めて間がないフランスの友人は、大学生の折に家族と共に初めて日本を訪れたそうで、日本愛好家の彼らが望んでいた京都の観光が実現して、最高のひとときを味わえた、と話してくれました。
その中でも、思い出に残っている、少し笑える話があると言うので、それについて聞いてみました。

旅行の日程中に、街のはずれにあるレトロな喫茶店を見つけ、まだ午前中でしたので、お客の数は少なく、ここなら雰囲気も良さそうだし、リラックスできると思い、彼らはお店の中に入りました。
両親はエスプレッソを注文しましたが、私の友人はカフェオレが飲みたかったので、日本では「コーヒー」と呼ぶのだから、牛乳も英語にして、ミルクコーヒーと言えば通じるだろう、と確信して注文しました。
しかし想像に反して、運ばれてきたものは、フランス人が「靴下コーヒー(=汚れた靴下を洗濯した時の様な色を表した表現で、色も味も薄いコーヒーを意味する)」と称するものが入ったカップと、小さなフレッシュが置かれたソーサーでした。
どう見ても牛乳が注がれていないそのコーヒーに、納得がゆかなかった友人は、「牛乳」という単語を頭の中で一生懸命、思い起こしながら、片言の日本語で、「スミマセン、コーヒートギュウニュウ、オネガイシマス」、と勇気を出して、気難しそうなマスターにお願いしてみました。
すると彼は、「ああ、カフェオレの事ですか。すぐ、お持ちしましょう」、と快く答えてくれました。「な~んだ! はじめからフランス語で言って大丈夫だったんじゃない…! それにしてもびっくりした、日本にいるのにフランス語で言わないとだめなの?」、と言い、遠回りした事については、両親も笑いながらそばで見ていたそうです。

私の友人が当時驚いたのは、そして日本に住む様になってからも不思議に思っている事は、なぜ英語、フランス語、ドイツ語、はたまた日本で作られたカタカナ語がこれほど混ざり合って、使われる様になったのか、なぜこれらの単語の全てを日本の言葉で統一しようとしないのか、だそうです。
彼女にとっては、この様々な国の言葉と独自のカタカナ語で形成される日本語が、欧米と比較すれば格段に移民の少ない日本で生まれた事が、或る種のパラドックスであり、大変興味深いと語っていました。
もっと自国語を大切にすべきだ、とも私に言い、「日本人の貴子はカフェオレ、と言わずに、コーヒー牛乳、と言って注文しなくちゃだめよ」、と諭すので、私は間髪入れずに、「あのね、コーヒー牛乳とカフェオレは、日本では別物なのよ、残念ながら…」、と答えました。
すると、コーヒー牛乳の存在を知らなかった彼女は、「えっ? じゃあ、コーヒー牛乳って、何なの?」、と言うので、少し昭和の時代的なコーヒーの風味がする牛乳という説明をすると、「ウ・ラ・ラ!(=フランス語で「なんて事でしょう」という意味) これだから日本語は複雑過ぎて、外国人は一生、習得できないわね!」、と笑いながら呆れていました。

2024.11.30 23:25

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