コラム

謹賀新年

新年明けましておめでとうございます。
本年は、団塊の世代の方々が75歳以上となり、その数は約800万人にのぼると想定され、人口の5人に1人が後期高齢者と言った、我が国は超高齢化社会を迎える事が言われています。
いわゆる「2025年問題」と呼ばれるものですが、少子高齢化による労働力の不足や、医療・福祉に関する社会保障費の増大、或いは仕事を続けながら家族の介護を行うビジネスケアラーの人の増加、介護の負担から生じる離職の懸念等について、国では対応策が打ち出されつつあります。

その様な厳しい現実があり、音楽の様な芸術が貢献できるスペースはほんの僅かか、或いは無に等しくさえあるかもしれませんが、では、そうした高齢の方々のコミュニティに演奏を届けるという事にもし意義があるとすれば、それはどの様な事でしょうか。

英国留学中には、例えるならば日本の特別養護老人施設の様なレジデンスと、まだ自立した暮しが行える方々のためのセキュリティ機能の付いたマンションが同じ敷地内に建てられたロンドン郊外に、王立音楽院の方からコンサートをお願いされ、よく伺っていました。
演奏の合間には、拙い英語で作品の解説を行い、クラシック音楽に馴染みがない方にもより親しみを感じて頂ける様、説明には工夫を凝らしました。
ブラームスが敬愛したクララに捧げたインテルメッツォをプログラムに含めたコンサートを行った際の事、それを聴かれた白髪の紳士が、終演後に声を掛けて下さいました。
「私にはこの曲は初めてでしたが、妻の事を思い出して、心が温かくなりました。音楽と共に、今日は妻と一緒に良い旅ができてとても嬉しかった」、と感想を述べて頂いた事を記憶しています。

芸術は苦悩の昇華であり、ブラームスやクララの夫のシューマンの音楽は、まさにそれであると言えますが、そうして生まれた数々の崇高な作品が、多くの人の死生に、とりわけエンド・オブ・ライフのステージに関わる事ができるのでしたら、それはひとつの芸術の在り様として、尊い用いられ方ではないでしょうか。
未だコロナの影響により、制限がある医療機関や施設は多いのが現状ですが、可能な限りそうした方々にも演奏を届けられる様、力を注いで参りたいと存じます。
また、2025年も多くの新しい経験が得られる様、感性を研ぎ澄ませながら、日々を大切に過ごしてゆけたらと願っております。
本年も、読者の皆様の温かい応援をどうぞ宜しくお願い申し上げます。

塩見 貴子

2025.01.03 23:15

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