人々の善意について
よく他人(ひと)の気持ちも知らないで…
この様に言う場面に遭遇するという事は、日常生活の中で少なくはないと感じられるが、皆様はいかがであろうか。
呑気で、良い気なものだという意味でも使われているのかも知れないが、果たして人について、増してや心の内等、その人自身の様に共感し、理解し合える事は本当にあるのだろうか。
一抹の寂寥感と共に、或る日の小さな出来事を思い起こしながら、私はどう捉えれば良かったのだろうかと、改めて考え直してみた。
或る日の午後、その日は山手線の電車に乗り、必要な買い物をした後で、幾つかの重量のあるショッピングバッグを持って、夜の満員電車の中を立っていた。
すると、目の前に座っていた60歳位のサラリーマン風の男性が、「良かったら座りますか?」、と申し出て下さったのである。
実は以前に、電車やバスで高齢者へ席を譲ろうとし、「いえ、次で降りますから、結構です」、と笑顔で返されて、一度立ってしまった私は、再び席に戻っても良いものかどうか、空いた座席を見つめながら、困惑して、ばつが悪くなった時の様に気まずい思いをした事が、幾度かある。
それを思い起こしたからこそであったのだが、すぐ様その紳士に「ご親切にどうも有難うございます」、と言って会釈をして、大変厚かましくも座らせて頂いたのだ。
両親の世代の様な方に、増してや、席を譲られたのも人生初めてであったが、私の姿を見て、余程顔色でも悪く、疲れていたと思われたのかもしれない。
正直に言えば、かなり歩いて、脚が大変疲れており、重い物を持って立たずに済むという事が、心の底から有難かった。
しかし、私が座った次の瞬間、周囲の「立ち人」は、なんと皆、総攻撃の視線(?!)を向け始めたのだ。
そして、その目は、本物の食用オイルサーディン、(海外の人は、満員電車でぎゅうぎゅう詰めになっている状態を、この様に、まるで“イワシの缶詰”だ、と表現する…)の目よりも、遥かに恐ろしいものであった。
「どうして、自分より若い人間が座るのだ?! 一度は断るのが常識ではないのか?」
「それなら、皆座りたいのはやまやまなのに! 若者はこうして我慢しているではないか!」
かつて譲った席を必要ないと断られて、気まずかった時と同じ様に、この度は加えて、何か罪悪感の様なものさえ感じさせられたのであった。
嗚呼、早く降りる駅が近づいてくれないかと願いながら、結局は座る事ができたからと言って、最後まで心も体も休まるどころか、かえって疲れ果ててしまった帰路となった。
この場合、誰が果たして善人、またそうでない人と決めつける事ができるのか。
人の厚意を、快く受け取った事への周囲の反応は、その厚意を与えた人により、私を含めた当事者以外の多くが犠牲になっているのだとでも訴えたがっている様な、そんな立ち人達の強い視線であった。
何かを与えられる人が与え、そしてその善意に応えて、有難く受け取るというのは、ごく自然な行為ではないのだろうか。
少なくとも、私はその様に考え、また自分にも何か、例え小さきものであっても、与え贈る事はできないかと探そうとする。
移植医療にしても、欧米と比較して、後進国の日本と言われるが、倫理の問題以前に、「自己犠牲」(何を以て犠牲とするかは、あくまでも各々の主観的な捕らえ方となるであろう)という概念について、では一体何に対して犠牲なのかというその対象物を、今一度明確に考えられる様な文化になれば素晴らしいと思う。
私が体験した以上の事も然り。他者の存在というものを認識し、より意識して考え、人の助けとなるべく真の慈愛の精神を持つという事について、皆夫々が、自身を含めて、少しだけ多く思いを巡らせる事ができれば、人は何の為に生きるのかという事についても、何か小さな答えが得られるのでないかと感じている。
この様に言う場面に遭遇するという事は、日常生活の中で少なくはないと感じられるが、皆様はいかがであろうか。
呑気で、良い気なものだという意味でも使われているのかも知れないが、果たして人について、増してや心の内等、その人自身の様に共感し、理解し合える事は本当にあるのだろうか。
一抹の寂寥感と共に、或る日の小さな出来事を思い起こしながら、私はどう捉えれば良かったのだろうかと、改めて考え直してみた。
或る日の午後、その日は山手線の電車に乗り、必要な買い物をした後で、幾つかの重量のあるショッピングバッグを持って、夜の満員電車の中を立っていた。
すると、目の前に座っていた60歳位のサラリーマン風の男性が、「良かったら座りますか?」、と申し出て下さったのである。
実は以前に、電車やバスで高齢者へ席を譲ろうとし、「いえ、次で降りますから、結構です」、と笑顔で返されて、一度立ってしまった私は、再び席に戻っても良いものかどうか、空いた座席を見つめながら、困惑して、ばつが悪くなった時の様に気まずい思いをした事が、幾度かある。
それを思い起こしたからこそであったのだが、すぐ様その紳士に「ご親切にどうも有難うございます」、と言って会釈をして、大変厚かましくも座らせて頂いたのだ。
両親の世代の様な方に、増してや、席を譲られたのも人生初めてであったが、私の姿を見て、余程顔色でも悪く、疲れていたと思われたのかもしれない。
正直に言えば、かなり歩いて、脚が大変疲れており、重い物を持って立たずに済むという事が、心の底から有難かった。
しかし、私が座った次の瞬間、周囲の「立ち人」は、なんと皆、総攻撃の視線(?!)を向け始めたのだ。
そして、その目は、本物の食用オイルサーディン、(海外の人は、満員電車でぎゅうぎゅう詰めになっている状態を、この様に、まるで“イワシの缶詰”だ、と表現する…)の目よりも、遥かに恐ろしいものであった。
「どうして、自分より若い人間が座るのだ?! 一度は断るのが常識ではないのか?」
「それなら、皆座りたいのはやまやまなのに! 若者はこうして我慢しているではないか!」
かつて譲った席を必要ないと断られて、気まずかった時と同じ様に、この度は加えて、何か罪悪感の様なものさえ感じさせられたのであった。
嗚呼、早く降りる駅が近づいてくれないかと願いながら、結局は座る事ができたからと言って、最後まで心も体も休まるどころか、かえって疲れ果ててしまった帰路となった。
この場合、誰が果たして善人、またそうでない人と決めつける事ができるのか。
人の厚意を、快く受け取った事への周囲の反応は、その厚意を与えた人により、私を含めた当事者以外の多くが犠牲になっているのだとでも訴えたがっている様な、そんな立ち人達の強い視線であった。
何かを与えられる人が与え、そしてその善意に応えて、有難く受け取るというのは、ごく自然な行為ではないのだろうか。
少なくとも、私はその様に考え、また自分にも何か、例え小さきものであっても、与え贈る事はできないかと探そうとする。
移植医療にしても、欧米と比較して、後進国の日本と言われるが、倫理の問題以前に、「自己犠牲」(何を以て犠牲とするかは、あくまでも各々の主観的な捕らえ方となるであろう)という概念について、では一体何に対して犠牲なのかというその対象物を、今一度明確に考えられる様な文化になれば素晴らしいと思う。
私が体験した以上の事も然り。他者の存在というものを認識し、より意識して考え、人の助けとなるべく真の慈愛の精神を持つという事について、皆夫々が、自身を含めて、少しだけ多く思いを巡らせる事ができれば、人は何の為に生きるのかという事についても、何か小さな答えが得られるのでないかと感じている。
2014.10.22 20:25
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