夢見る事ができれば、それは実現できる
ドラマ「のだめカンタービレ」で一般の人々にも知られる様になった、この「カンタービレ」という言葉は、音楽の発想標語と呼ばれるものです。
発想標語は、作曲家が演奏者に対して「この様に演奏してほしい」という願いを表した、いわばリクエストの様な言葉ですが、カンタービレは「(楽器を)歌う様に弾きなさい」という指示になっています。
クレッシェンド(=次第に強く)や、ポコ・ア・ポコ(=少しずつ)、フェルマータ(=ほど良くのばす、停留所という意味もある)は、楽器を習われた方がない方でも、お聞きになった事があるのではないでしょうか?
これらは全てイタリア語であり、例えば、小学生でピアノを習い始めると、作品の中で新しく出会う言葉の意味をひとつひとつ学習してゆく事になります。
発想標語のみならず、演奏するテンポ、即ち速さを表す速度標語も含め、楽譜に記載された言葉を楽語と言いますが、それらはカンタービレはもちろんの事、上記の様なイタリア語が多くを占めています。
それには理由があり、簡単に説明しますと、いわゆるクラシック音楽が確立した時代はルネッサンスでしたが、当時のヨーロッパでは音楽、科学、政治と言ったあらゆるものの中心地がイタリアでした。その頃の音楽家は、宮廷演奏家や教会オルガニストとして従事しており、歌詞や演奏用語等には公用語のイタリア語が用いられていました。イタリアで生まれた新しい音楽のスタイルは、この音楽家達が各国の王侯貴族等に雇われる事により、その伝統が他国でも引き継がれ、その結果、イタリア語での記載が標準化されたという事の様です。
では楽語はイタリア語でしか存在しないのか、と言うとそうではなく、19世紀以降は、自国の言葉で書き示す作曲家も登場する様になり、例えばシューマンはドイツ語を、そしてドビュッシーやラヴェル等はフランス語を用いていた事は有名です。
さて、イタリアはフランスに大変近い国ですが、私もパリ留学中は、フランスの新幹線の様なTGVに乗って、よくミラノまで訪れていました。
前世はイタリア人だったのではないか、と確信(?)するほど、私はパスタ(=イタリアの麺類)料理が好きで、当時はほぼ毎日、一度はパスタを使った食事を取っていました。
ですから、イタリアを訪れると、本場のアルデンテの美味しいパスタを味わえる事が、何よりの楽しみでした。
或る年、ミラノでコンサートに出演させて頂いた折に、終演後に奏者全員で集まり、打上げを行うために、演奏したホール近くのレストランへ足を運びました。
そのお店では、オッソ・ブッコ(骨付き仔牛の料理)、コトレッタ・ア・ラ・ミラネーゼ(ミラノ風カツレツ)と言ったご当地料理の他、ピザ・クアトロ・フロマッジオ(4種のチーズのピザ)やタリアテッレ・ア・ラ・カルボナーラ、ティラミス等を堪能しました。
出演者はフランス人が大半でしたので、私達はフランス語で話していましたが、ひとりのウェイターが、「僕はフランス語ができるよ」と言って、テーブルに近寄り、話し掛けてきました。
私に「どこの出身か?」と尋ねるので、「日本です、でも今は音楽の勉強のためにパリに住んでいますよ」、と答えると、彼は「えっ本当に? ああ、僕はあなたがめっちゃうらやましい!」、と言うのです。
さて、これはチップを少々はずんで欲しいから、お世辞でも言っているのかしら? 等と疑っていると、彼は「だって、東京にもパリにもディズニーランドがあるでしょう? 一度で良いから、僕はそこに行ってみたくて。だからこうして一生懸命働いているんだ!」と、目を輝かせて言いました。この様に、思いも寄らない言葉が返ってきたのです。
パリのユーロ・ディズニーランドを訪れた経験はありませんが、東京のほうならよく知っていますので、幼い頃にエレクトリカルパレードを初めて見た時は感動して、それから1週間位、ずっとディズニーの世界に浸っていたという話をしました。彼もパレードの写真はウェブサイトで既に見ていた様で、「僕も絶対に本物を見なくちゃ!」、と言いました。
しかし、よく考えてみると、私が大人になってから、ディズニーランドには一度も足を運んでいませんでしたので、それは遠い記憶の様に感じられました。
ふとウォルト・ディズニーが残した言葉を思い起こして、「夢見る事ができれば、実現できる、とディズニーも言っていたから… 近いうちに、行ける日が来ると良いですね」、と返すと、彼は「僕もそう信じているよ」、と言い、顔がいっそうほころびました。
「しかし、ミラノ大聖堂の様なゴージャスで歴史的な建造物がすぐそばにある所に居て、それにこんなに美味しいイタリア料理が毎日食べられるあなたの方が、私は百倍うらやましいと思う!」、と言うと、彼は「やっぱり人はなかなか手に入れられないもの、遠くのものに憧れるんだよね…」、と呟きました。
少しロマンチストなそのウエイターの言葉は、言い得て妙でした。
発想標語は、作曲家が演奏者に対して「この様に演奏してほしい」という願いを表した、いわばリクエストの様な言葉ですが、カンタービレは「(楽器を)歌う様に弾きなさい」という指示になっています。
クレッシェンド(=次第に強く)や、ポコ・ア・ポコ(=少しずつ)、フェルマータ(=ほど良くのばす、停留所という意味もある)は、楽器を習われた方がない方でも、お聞きになった事があるのではないでしょうか?
これらは全てイタリア語であり、例えば、小学生でピアノを習い始めると、作品の中で新しく出会う言葉の意味をひとつひとつ学習してゆく事になります。
発想標語のみならず、演奏するテンポ、即ち速さを表す速度標語も含め、楽譜に記載された言葉を楽語と言いますが、それらはカンタービレはもちろんの事、上記の様なイタリア語が多くを占めています。
それには理由があり、簡単に説明しますと、いわゆるクラシック音楽が確立した時代はルネッサンスでしたが、当時のヨーロッパでは音楽、科学、政治と言ったあらゆるものの中心地がイタリアでした。その頃の音楽家は、宮廷演奏家や教会オルガニストとして従事しており、歌詞や演奏用語等には公用語のイタリア語が用いられていました。イタリアで生まれた新しい音楽のスタイルは、この音楽家達が各国の王侯貴族等に雇われる事により、その伝統が他国でも引き継がれ、その結果、イタリア語での記載が標準化されたという事の様です。
では楽語はイタリア語でしか存在しないのか、と言うとそうではなく、19世紀以降は、自国の言葉で書き示す作曲家も登場する様になり、例えばシューマンはドイツ語を、そしてドビュッシーやラヴェル等はフランス語を用いていた事は有名です。
さて、イタリアはフランスに大変近い国ですが、私もパリ留学中は、フランスの新幹線の様なTGVに乗って、よくミラノまで訪れていました。
前世はイタリア人だったのではないか、と確信(?)するほど、私はパスタ(=イタリアの麺類)料理が好きで、当時はほぼ毎日、一度はパスタを使った食事を取っていました。
ですから、イタリアを訪れると、本場のアルデンテの美味しいパスタを味わえる事が、何よりの楽しみでした。
或る年、ミラノでコンサートに出演させて頂いた折に、終演後に奏者全員で集まり、打上げを行うために、演奏したホール近くのレストランへ足を運びました。
そのお店では、オッソ・ブッコ(骨付き仔牛の料理)、コトレッタ・ア・ラ・ミラネーゼ(ミラノ風カツレツ)と言ったご当地料理の他、ピザ・クアトロ・フロマッジオ(4種のチーズのピザ)やタリアテッレ・ア・ラ・カルボナーラ、ティラミス等を堪能しました。
出演者はフランス人が大半でしたので、私達はフランス語で話していましたが、ひとりのウェイターが、「僕はフランス語ができるよ」と言って、テーブルに近寄り、話し掛けてきました。
私に「どこの出身か?」と尋ねるので、「日本です、でも今は音楽の勉強のためにパリに住んでいますよ」、と答えると、彼は「えっ本当に? ああ、僕はあなたがめっちゃうらやましい!」、と言うのです。
さて、これはチップを少々はずんで欲しいから、お世辞でも言っているのかしら? 等と疑っていると、彼は「だって、東京にもパリにもディズニーランドがあるでしょう? 一度で良いから、僕はそこに行ってみたくて。だからこうして一生懸命働いているんだ!」と、目を輝かせて言いました。この様に、思いも寄らない言葉が返ってきたのです。
パリのユーロ・ディズニーランドを訪れた経験はありませんが、東京のほうならよく知っていますので、幼い頃にエレクトリカルパレードを初めて見た時は感動して、それから1週間位、ずっとディズニーの世界に浸っていたという話をしました。彼もパレードの写真はウェブサイトで既に見ていた様で、「僕も絶対に本物を見なくちゃ!」、と言いました。
しかし、よく考えてみると、私が大人になってから、ディズニーランドには一度も足を運んでいませんでしたので、それは遠い記憶の様に感じられました。
ふとウォルト・ディズニーが残した言葉を思い起こして、「夢見る事ができれば、実現できる、とディズニーも言っていたから… 近いうちに、行ける日が来ると良いですね」、と返すと、彼は「僕もそう信じているよ」、と言い、顔がいっそうほころびました。
「しかし、ミラノ大聖堂の様なゴージャスで歴史的な建造物がすぐそばにある所に居て、それにこんなに美味しいイタリア料理が毎日食べられるあなたの方が、私は百倍うらやましいと思う!」、と言うと、彼は「やっぱり人はなかなか手に入れられないもの、遠くのものに憧れるんだよね…」、と呟きました。
少しロマンチストなそのウエイターの言葉は、言い得て妙でした。
2022.08.29 23:50
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