ケイコさんはどこにいる?
十代の頃、マスタークラスでお習いしていたフランス人の教授が、レッスンを終えた後にふと、「いつも日本に行くと不思議に思うのだけれど、どうして Debussy や Ravel をああいうふうに発音するのかな? 聞いていると何か面白いよね」、と仰いました。
確かに、我々はついつい日本語の読み方でドビュッシーやラベルと言ってしまうのですが、本当は(カタカナで表記するのが難しい)デュビュッスィー、また Ravel は喉から出す音の R で始めるラ、下を噛む V のヴェ、舌を上顎につける L のルで発音する、というのが正しい読み方です。
実際には、フランス人の様に発音したいと願っても、なかなかデュビュッシーは難しいのではなかろうか
と感じます。
後にパリへ渡り、現地の人々が Debussy や Ravel について議論しているのを聞きましたら、幼い頃より印象に残っていた、「題名のない音楽会」で司会をなさられていた黛敏郎さんが、Debussy と仰る際の「デュビュッスィー」という何ともエレガントな響きを思い起こして、やはりその様に言うのがまっとうなのだなあという事を知りました。
ところが、実はフランス人も、全く負けてはいません(?!)でした。
パリで親しくなったドイツの友人は、「フランスでは、皆モザール、シュベール、と言うけれど、どうしてちゃんとモーツァルト、シューベルト、って言わないんだろうね。何か別の作曲家みたいに聞こえて変だよね…」、と不満気でした。
フランス語には、最後が T で終わる単語が山ほどありますが、原則として、この T は発音されない決まりになっており、従って、他国のファミリーネームであっても、Mozart はモザール、Schubert はシュベールと読むのが、彼らにとっては自然なのですね。
更にフランス語では、H が無音(=読まない)として扱われるため、彼らは元々ハヒフヘホ、を発音するのが困難な事から、Bach はバッハではなく、バック、と読むのが常識となっており、今では慣れましたが、初めの頃は、私の友人が指摘した様に、まるで他の誰かを表している様に思われて、少し違和感がありました。
そして、我ら日本人の名前も、想像に難くありませんが、欧米人にとっては発音しづらいもののひとつの様です。
ロンドン留学時代の青春の味と言えば少し大袈裟ですが、テイクアウトのコーヒーを、私はいつも行きつけのコーヒーショップで購入していました。
他店でも同じ様に行われていたか否かはわかりませんが、そのショップでは、毎日お客が列を成すほど多かったため、コーヒーを注文すると、スタッフが購入した人の名前を聞いて、それを紙のカップに書き、でき上がったら「〇〇さんの・・・コーヒーです!」、と言われるので、カウンターに行き、コーヒーを渡してもらうというシステムになっていました。
或る日、私はいつもの様にこのショップに行き、温かいカプチーノを頼みました。
しばらく待っていると、「ケイコさんのホット・カプチーノができました!」、と言う声が聞こえたのですが、カプチーノ、でも私のではないわ、と思い、再び待ち続けようとしました。
すると、スタッフの女性が、「これはきっとあなたのカプチーノですよ」、と言って、わざわざ待っている私の所まで持ってきてくれたのです。少し驚きながら、周りを見渡しても、ケイコさんという名に相応しい人は見当たらず、しかし確かにカップには「TAKAKO」と記されていました。
彼女には、ありがとう、と言いながらも、何故ケイコと読まれたのか、腑に落ちないままお店を出て、歩きながらコーヒーを味わいつつ、その理由について考えてみました。
しばらくはわかりませんでしたが、そのうちある事に気が付いたのです。
要するに、TOMATO=トメイト、と同じ読み方になっただけ、という事だったのですね。
英語では、ひとつの単語の中で、ストレスと呼ばれる強く発音する音節と、聞こえないほどの小さな声で弱く発音する音節とが、明確に決められています。従って、そのルールに則ると、私の名前である Takako は、はじめの Ta が最も弱くなり、Tomato と同じ様に読まれていたと考えるならば、Takako の kako はケイコ、となってしまうのです。タ、の音が弱いと、必然的にケイコ、としか聞こえませんよね。
ですから、先ほどのスタッフも、厳密には「タケイコ」と読んでくれたのでしょうが、日本人としては、(タ)ケイコ、と耳にすれば、タカコではない、ケイコさんという別の人がショップにいる、と解釈をせざるを得ません。
そう言えば、大学院の同級生のアメリカ人達も、同様に私の事を「タケイコ」と呼んでいましたので、もしかするとアメリカ人に親和性の高い発音の仕方であるのかしら、とも考えると、大変興味深く思われました。
ともあれ、人の名前を正確に発音するというのは、その人の国では当然の様に行われていても、他国ではなかなか容易にはなされないという事が、よく理解できます。
ですから、母国語と同じルールを当てはめて、発音の仕方をアレンジし、言い易く変えてしまうというのは、ごく自然な事なのでしょう。
帰国して年月も経ちましたが、あれから私は、Debussy を本当に正しく言える様になっているでしょうか… 未だあまり自信がない様に感じております。
確かに、我々はついつい日本語の読み方でドビュッシーやラベルと言ってしまうのですが、本当は(カタカナで表記するのが難しい)デュビュッスィー、また Ravel は喉から出す音の R で始めるラ、下を噛む V のヴェ、舌を上顎につける L のルで発音する、というのが正しい読み方です。
実際には、フランス人の様に発音したいと願っても、なかなかデュビュッシーは難しいのではなかろうか
と感じます。
後にパリへ渡り、現地の人々が Debussy や Ravel について議論しているのを聞きましたら、幼い頃より印象に残っていた、「題名のない音楽会」で司会をなさられていた黛敏郎さんが、Debussy と仰る際の「デュビュッスィー」という何ともエレガントな響きを思い起こして、やはりその様に言うのがまっとうなのだなあという事を知りました。
ところが、実はフランス人も、全く負けてはいません(?!)でした。
パリで親しくなったドイツの友人は、「フランスでは、皆モザール、シュベール、と言うけれど、どうしてちゃんとモーツァルト、シューベルト、って言わないんだろうね。何か別の作曲家みたいに聞こえて変だよね…」、と不満気でした。
フランス語には、最後が T で終わる単語が山ほどありますが、原則として、この T は発音されない決まりになっており、従って、他国のファミリーネームであっても、Mozart はモザール、Schubert はシュベールと読むのが、彼らにとっては自然なのですね。
更にフランス語では、H が無音(=読まない)として扱われるため、彼らは元々ハヒフヘホ、を発音するのが困難な事から、Bach はバッハではなく、バック、と読むのが常識となっており、今では慣れましたが、初めの頃は、私の友人が指摘した様に、まるで他の誰かを表している様に思われて、少し違和感がありました。
そして、我ら日本人の名前も、想像に難くありませんが、欧米人にとっては発音しづらいもののひとつの様です。
ロンドン留学時代の青春の味と言えば少し大袈裟ですが、テイクアウトのコーヒーを、私はいつも行きつけのコーヒーショップで購入していました。
他店でも同じ様に行われていたか否かはわかりませんが、そのショップでは、毎日お客が列を成すほど多かったため、コーヒーを注文すると、スタッフが購入した人の名前を聞いて、それを紙のカップに書き、でき上がったら「〇〇さんの・・・コーヒーです!」、と言われるので、カウンターに行き、コーヒーを渡してもらうというシステムになっていました。
或る日、私はいつもの様にこのショップに行き、温かいカプチーノを頼みました。
しばらく待っていると、「ケイコさんのホット・カプチーノができました!」、と言う声が聞こえたのですが、カプチーノ、でも私のではないわ、と思い、再び待ち続けようとしました。
すると、スタッフの女性が、「これはきっとあなたのカプチーノですよ」、と言って、わざわざ待っている私の所まで持ってきてくれたのです。少し驚きながら、周りを見渡しても、ケイコさんという名に相応しい人は見当たらず、しかし確かにカップには「TAKAKO」と記されていました。
彼女には、ありがとう、と言いながらも、何故ケイコと読まれたのか、腑に落ちないままお店を出て、歩きながらコーヒーを味わいつつ、その理由について考えてみました。
しばらくはわかりませんでしたが、そのうちある事に気が付いたのです。
要するに、TOMATO=トメイト、と同じ読み方になっただけ、という事だったのですね。
英語では、ひとつの単語の中で、ストレスと呼ばれる強く発音する音節と、聞こえないほどの小さな声で弱く発音する音節とが、明確に決められています。従って、そのルールに則ると、私の名前である Takako は、はじめの Ta が最も弱くなり、Tomato と同じ様に読まれていたと考えるならば、Takako の kako はケイコ、となってしまうのです。タ、の音が弱いと、必然的にケイコ、としか聞こえませんよね。
ですから、先ほどのスタッフも、厳密には「タケイコ」と読んでくれたのでしょうが、日本人としては、(タ)ケイコ、と耳にすれば、タカコではない、ケイコさんという別の人がショップにいる、と解釈をせざるを得ません。
そう言えば、大学院の同級生のアメリカ人達も、同様に私の事を「タケイコ」と呼んでいましたので、もしかするとアメリカ人に親和性の高い発音の仕方であるのかしら、とも考えると、大変興味深く思われました。
ともあれ、人の名前を正確に発音するというのは、その人の国では当然の様に行われていても、他国ではなかなか容易にはなされないという事が、よく理解できます。
ですから、母国語と同じルールを当てはめて、発音の仕方をアレンジし、言い易く変えてしまうというのは、ごく自然な事なのでしょう。
帰国して年月も経ちましたが、あれから私は、Debussy を本当に正しく言える様になっているでしょうか… 未だあまり自信がない様に感じております。
2021.09.18 23:25
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