コラム

「聴く」について考える

「我々にとって、聴く事よりも話す事の方が大切だったら、きっと人間には二つの口と一つの耳が与えられていたであろう」

これは、アメリカの小説家であるマーク・トウェインが語った、アイロニー溢れるユーモラスな言葉である。

それほど、人の話を聴くという事は容易でないか、について表現したものだ。

果たして、人間は対話する時に、自身の関心の如何に関わらず、相手の話を真に注意深く、また敬意を払って、心から聴いているだろうか。
単に「聞いて」、或いは「聞き流して」・・・?
「聴く」という事は、ほとんどないのではあるまいか。

先日、チャプレンをなさる専門家の方より、「傾聴」について学ぶ機会があり、貴重なお話を伺った。
人は、何故に石や器械に話し掛けようとはせず、例え反論や批判をされる相手かも知れないとわかっていて、敢えて人に話を聴いてもらいたいと欲するのか。
人間は、決してひとりでは生きてゆく事が出来ず、多くの人々の支えによって、その繋がりの中で、はじめて生きる事が可能になるのだ、という当たり前の事について深く学び、改めて考えさせられたレクチャーであった。

音楽の父であるJ.S.バッハが存命の頃は、なんと彼によるチェンバロ演奏や指揮を含めたライヴ・コンサートは、宮殿の貴族の人々の豪華な食卓に花を添える、所謂バック・グラウンド・ミュージック的な存在であったというから、いささか驚きである。
この時代には、決して珍しい事ではなく、バッハの様な神聖な音楽を聞き流してしまえる貴族の人々に、贅沢極まりない感覚を抱く一方で、彼の音楽の真価を本当に理解出来る人は、恐らく少なかったのではないかと残念にも思う。
この場合、音楽は聴かれてはおらず、ただ聞かれたに過ぎないのだ。

それでも、私自身は、最近になって思う事だが、音楽をいつも構えて聴くのではなく、ただ自然に聞く、またふと心地良く聞こえてくる、という事があって当然であるし、その様な楽しみ方も、同様に素晴らしいのではないか、と感じる様になった。

今から13年ほど前になるが、2000年というミレニアム・イヤーを祝って、パリでは様々な催しが行われた。
そのひとつに、日本を誇る大指揮者、マエストロである小澤征爾氏が、これもまた世界の三大テノールと言われたドミンゴ、パヴァロッティ、そしてカレーラスを率いて、グランド・ガラ・コンサートが開催される事となり、エッフェル塔のすぐ傍にあるシャン・ド・マルスという、芝生の綺麗な壮大な広場で、なんとマチネの野外公演がなされる事が決定した。

さすがフランスでもファンの多いマエストロ小澤のコンサート、入場は無料とあって、前日から場所取りの徹夜組が大勢現れた。
この公演の事をフランス人の友人から聞き、私が留学中でフランスに滞在している間に滅多には無い折角の機会だから行ってみようか、という事になった。
それでも、当日開演の数分前に着いたら、一万人を超える聴衆が既に集まっており、案の定舞台からは遥か遠い場所で、スクリーンを見ながらの鑑賞となった。

それは、思い起こすに、それ迄で、一番贅沢な、そして幸福なピクニックのひとときとなった。
道すがら購入した、サンドウィッチを頬張りながら、美声による名演を心から堪能した。
そして、途中から、友人と私は、なんと芝生に寝そべって、眼を閉じて、テノールのオペラのアリアを聞き始めた。
半分はうとうととして、夢見心地で彼らの演奏を、私たち二人は「聞いた」であろう。
決して、全てを「聴き」はしなかったのだが、それは偉大なアーティストに対する無礼というものを超えて、極上の演奏に身を任せたゆとう、至福の時を過ごす権利が与えられたのだ、とでも申して良いのではなかろうか。
その場には、それが最も相応しい行いだったのだろうと、今も信じている。

「聴く」を極めれば、必ず「理解する」という事に至るであろうか。
無意識に「聞く」という行為から、私は、抵抗無く受け入れようとする、或る種の寛大さ、心の優しさの様なものを感じる事がしばしばある。

相手と対話してコミュニケーションを取ろうとする時、また音楽ホールで演奏を鑑賞する時は、「聞く」と「聴く」の両方の選択が自由に任されているが、どちらを選ぶかは、全くもって感性の問題で、ひとりひとり異なって然るべきであろう。
ただ、人の話をただ聞くという事に対する価値はあるのかとすれば、音楽をただ聞くというそれには、至る事がない様に感じている。




2013.02.23 23:30

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