コラム

ファストコミュニケーションの時代に失われてはならないものとは

人の書く文字には、よく性格が表れると言われますが、それ以上に心と言った内面や体の健康の状態までをも映し出しているのではないかと考えます。
年始に頂く年賀状について、暫くお目に掛かっていない方々には特にそれを感じますが、書かれてある文字を見ますと、現在どの様な暮しを送られているのかという事が、例え葉書の中の短い文章でも十分に想像できます。また、大変丁寧な文字の手紙を頂くと、送る人にどれ程の気持ちを込めて書かれたのかが、真に理解できるのです。
文字の色から判る、筆ペンではなく実際に毛筆を使った達筆は、恐縮しますが、しかし頂く側にとっては、感謝の心がより一層厚いものとして伝わります。一文字ずつ手間が掛けられており、それは端正な文字で書かれた芸術品の様な手紙は、その方のエレガンスや心の美しさまでをも表すのです。

文字が綺麗に書ける様に、小さい頃から躾けられるのは、日本独特の習慣なのだそうです。
私も書道を習いましたが、早く先生の様に美しく流れる漢字を書ける様になりたいと願ったものでした。
確かに、ヨーロッパの国々で、周りが書いていたアルファベットの文字を思い起こしてみると、筆記体でいわゆる草書の様な文字を書いていた人というのは、誰ひとりとして見当たりません。
ある時、日本語で使わないアルファベットを、ネイティブの読み手に苦労を強いずとも理解してもらえる様に、(決して異国の地だからと言って甘えてはならないので)一生懸命努力して考え、曲がりなりにも得られた文字を書いていた所、イギリス人の同級生に「うわー、ヴィクトリア朝の人の文字みたいですごい!!」と絶賛された事があります。
恐らく真意は、褒めたかったという事ではなく、大変古風な文字だという事を単に伝えたかったのだろうと、後になっては思います。

さて、これは世界共通で、少し意外ですが、美しくない文字を書く人ほど、実はIOが大変高いという事が多いのだそうです。
頭の回転が速すぎるために、書くスピードがそれに追いつかず、殴り書きの様になってしまうのが理由の様ですが、確かに私の身近では、それがあてはまる印象が強くあります。
自身の文字は、日本語でも仏語でも英語でも、汚いと言われた経験が一度もないのですが、それはやはり頭の回転がそれほど速くはないという事になるのでしょうか…。いずれの国で生活しても、皆に言われるのは「筋金入りのマイペース人間」ですから、頭が切れるシャープな人の類ではないのは、紛れもない事実の様です。

ともかくとして、書かれた文字が良い意味でも悪い意味でもその人となりを表すという事であれば、書くという営みをもっと大切にして、文字を書く意義を考える必要がある様に思われます。
連絡手段はラインやメールが主流という、ファストフードならぬ昨今のファストコミュニケーションの時代にあっては、書かれた文字の存在が益々貴重となり、没個性から脱する手段として、その価値や重要性はより一層増す様に感じております。





2018.11.27 23:50

新着コラム

2024.05.31
「コルトーを偲ぶ会2024~アルフレッド・コルトー没後62年~」
2024.04.28
多様性の時代に相応しい日本食
2024.03.30
謎解きの魅力とは
2024.02.29
「第13回川棚・コルトー音楽祭」開催のお知らせ
2024.01.05
謹賀新年

バックナンバー