コラム

人生は選択の連続であるのか

先日、70代の方々が中心となられた会で、食事のお誘いを受ける機会があり、ランチをご一緒させて頂いた折の事です。
一人の女性の行きつけのレストランに皆が集合しましたが、彼女はメニューについて熟知しておられる様で、着席されるや否や、
「この~コースが一番美味しいのよ! 皆さんもそれでよろしいかしら?」
と、ごく自然に仰しゃり、他のメンバーの方々も、異論なく、「ええ、そう致しましょう」、と即決されました。

私は、生来のマイペース人間ですから、メニューを見ながら、ゆっくりどれにしようか選んで考えたかったのですが...
心の中で少しがっかりして、ささやかな楽しみを奪われた様にも感じましたが、やはりこうした仲間内で同じ物を頂いて、掛けがえのないひとときを過ごすという行為には、単に右へ習えの日本の慣習を超えた、美しいコミュニケーションの哲学が、そこにはある様に感じます。

所変わって、欧米では、レストランで何を注文するかは、皆ひとりひとりに確固としたスタイルがあります。
ウェイターに何度も質問して、そのお店のベストである料理や、本日のお薦めを延々と尋ねる人、また私はベジタリアンだから、或いはシーフードしか食べないから、この食材は避けて欲しいと願う人... 
夫々揺ぎ無き自らのこだわりを貫く為、周りは何かを勧めるという事を極力しません。

ですから、予期せずに注文する物が同じであった時は、
「え? あなたもそれにしたの? すごい! 一緒だなんて!!」
と、大袈裟ですが、フランスでは歓声が上がる程です。

レストランでの食事であれば、この様に選ぶという事も、皆で語らいの場であるほがらかなひとときです。

しかしながら、人生はつくづく小さな選択の連続ではないかと感じます。
人間が幸福を感じられるか否かは、その時点でのあらゆる知識を総動員して、熟考の上、選び抜く作業から生まれた「体験のタペストリー」であると言えるのではないでしょうか。
そして、各々の体験の織物を、いかに自分好みに美しく仕上げられるかは、全てはその選択にかかっているのではないかと思われるのです。
初めはひとつの選択による体験が、数を重ねれば、体験の相互作用により、もたらすメリットやデメリットも倍以上となり、またその種類は計り知れず、地球上の人間の存在の数ほどあるかの様です。

果たして何を選べば、どの様に事が進むのか、分析をして最大限の予測を立ててはみるのですが、なかなか思い通りに行くという方が少ない様です。
また、織糸が同じでも、織り方が異なれば、全く違うデザインの予期せぬタペストリーが生まれる事もしばしば起こります。

その様な時は、「それが人生なのだ」と悟って、運命を受け入られる様、あらゆる選択をした自分自身に責任や自信を持てるという所まで、願わくば成長出来る様になりたいものです。

2015.04.30 22:45

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