語学習得のための秘訣とは
私が通った小学校で英語を指導されていた、チャーミングで温かいお人柄の女性教師は、大変明瞭で美しい言葉を話される、アメリカご出身の方でした。授業中は、「私も、ああいう風に喋れたら良いのになあ・・・」と、いわば憧れと半ば諦めの思いで、ネイティブの完璧な発音を模倣していた様に記憶しています。物事がまだよくわからない子供ながらに、小さな頃から外国語に親しんでいたとしても、その言語が話されている国で生活を送らな限りは、やはり外国語の習得はそう簡単にはゆかないものだという事を、悟りつつありました。
中高生になり、今度は学校でのアメリカ人教師の英語の授業に加えて、イギリス、フランス、ドイツ、オーストリア、またロシア等、様々な国の音楽大学で教鞭を取られるピアノの先生方に、マスタークラスという特別レッスンの形で、教えを乞う時間が加わりました。もちろん、その際には通訳の方が一緒に来られて、言葉を訳して下さいますが、先生方の仰る事がひとりで全てわかれば、よりレッスンが充実したものになったであろうし、また先生に質問をする際にも、人を介して行うより、直接先生の母国語でお尋ねできたなら、もっと深い所まで教えて頂けたのではないかと、西洋音楽に携わる者にとって、英語だけではなく多言語を操れる事の必要性を痛感しました。
そして、高校3年の時に、アテネ・フランセに通いフランス語を学び始めましたが、いわば講師が一方的に話しながらレクチャーを行う、いわゆる日本の大学の講義の様なスタイルであったため、これではリスニングやスピーキングの力が伸ばせない事は否めませんでしたので、ならばと個人レッスンをしている様なスクールを、苦労して探して見つけ、そちらにも並行して通いながら勉強しました。
そのスクールでは、幸運にも私の「語学への目覚め(?)」となるきっかけを与えて下さった、素晴らしい女性講師と出会う事ができました。
初回のレッスンで、彼女は、「実はまだよく日本語が話せないので、申し訳ないけれど、文法の説明はフランス語か英語でさせてもらうわね」と(もちろんフランス語で)仰り、その瞬間に私自身の中では得も言えぬ緊張が走りました。マンツーマンでレッスンが可能と言うからには、きっと日本語にも不自由のない講師が来られるのであろうと想像していましたので、さてこれは大変な事になった…! と不安がよぎりましたが、それで返って学習意欲が高まり、少しばかりの気合いも入りました。実は、これは先生の戦略だったのですね。1年後に開かれた、先生方と受講生の交流パーティ-では、決してカタコトではない、流暢な先生の日本語の会話をお聞きして、非常に驚いたと同時に、その様な計らいを有難く感じました。
レッスンでは、繰り返し「フランス人は、日本人みたいに優しくない上に、そう簡単に助けてもくれないから、とにかく伝えたい事は時間を掛けても、どんな言葉でも良いから自分から伝えようとする事が大切よ」と仰っていました。これは、果たして前述の様なホワイト・ライ(=罪のない嘘)であったのでしょうか。実際にパリで暮しを始めて、日本では起こり得ぬトラブルの発生が、あちらでは日常茶飯事であると知り、その際に彼女の言葉がどれほど教訓として生かされたかわかりません。ただ、大都市のパリでは、決して冷たい人ばかりではなく、むしろ目の前の誰かが本当に困っていれば、何とかして助けようと手を貸してくれる人が、東京よりも遥かに多い様に、私には感じられました。ですから、ここでもやはり彼女は小さな嘘をついて、フランス人を貶めて、私が困難に立ち向かえるに鍛えて下さったという事がわかりました。
さて、ネイティブ・スピーカーではない者が、他国の言語を習得する際に、秘訣となるものが、果たしてあるのでしょうか。留学をする等、現地で実際に生活を送る事が、語学レベルの向上に繋がるというのは確かです。数ヶ月の間、暮らしているうちに、勉強仲間や友人、また恋人ができ、もっと仲良くなりたい、もっと相手に自分の事を理解してほしい、という気持ちが生まれれば、発音が苦手でも自らコミュニケーションを図ろうと積極的にもなり、モチベーションも高められて、そのうちに日本人には聞き取りが難しい、彼らの早いスピードの話し方にもついてゆける様になれるという気がします。その様に、いわば実践の場が与えられて、トレーニングを重ねるうちに、着実に上達はしてゆくはずです。
しかしながら、それだけでは、いささか不充分であるかとも感じています。では、何が足りないのでしょうか。それは、ただシンプルに「危機感」です。あまりに夢のない、現実的な結論で恐縮ですが、人が何かを克服しようとする際に、威力を発揮するのは、まさにこの危機感ではないかと、自身のこれまでの体験から、その様に思う訳です。語学における、標準的な必要性というものを上回るこの危機感とは、「その言語が話せなければ、あなたの身に困難が降りかかる」、即ち留学に関して言うのであれば、「この講義の内容を聞き取れなければ、単位を落として退学させられる、(学費さえ納めていれば何年も留年できると言った有難い制度があるのは、恐らく日本だけでしょうか…)」等の意味になり、必要性というものがより強化されると、その最上級としての「危機感」が生まれるのではないかと考えます。私自身は、危機感を人を脅かすものというより、むしろ鼓舞させるポジティブなものと、この場合は捉えます。
リートで親しんでいるドイツ語や、またイタリア語にも独学でチャレンジしながら、少しだけマルチリンガルになれる事を夢見ていますが、その肝心な、良い意味での危機感は、まだみじんも感じられず… 習得への道は果てしなく遠い今日この頃です。
中高生になり、今度は学校でのアメリカ人教師の英語の授業に加えて、イギリス、フランス、ドイツ、オーストリア、またロシア等、様々な国の音楽大学で教鞭を取られるピアノの先生方に、マスタークラスという特別レッスンの形で、教えを乞う時間が加わりました。もちろん、その際には通訳の方が一緒に来られて、言葉を訳して下さいますが、先生方の仰る事がひとりで全てわかれば、よりレッスンが充実したものになったであろうし、また先生に質問をする際にも、人を介して行うより、直接先生の母国語でお尋ねできたなら、もっと深い所まで教えて頂けたのではないかと、西洋音楽に携わる者にとって、英語だけではなく多言語を操れる事の必要性を痛感しました。
そして、高校3年の時に、アテネ・フランセに通いフランス語を学び始めましたが、いわば講師が一方的に話しながらレクチャーを行う、いわゆる日本の大学の講義の様なスタイルであったため、これではリスニングやスピーキングの力が伸ばせない事は否めませんでしたので、ならばと個人レッスンをしている様なスクールを、苦労して探して見つけ、そちらにも並行して通いながら勉強しました。
そのスクールでは、幸運にも私の「語学への目覚め(?)」となるきっかけを与えて下さった、素晴らしい女性講師と出会う事ができました。
初回のレッスンで、彼女は、「実はまだよく日本語が話せないので、申し訳ないけれど、文法の説明はフランス語か英語でさせてもらうわね」と(もちろんフランス語で)仰り、その瞬間に私自身の中では得も言えぬ緊張が走りました。マンツーマンでレッスンが可能と言うからには、きっと日本語にも不自由のない講師が来られるのであろうと想像していましたので、さてこれは大変な事になった…! と不安がよぎりましたが、それで返って学習意欲が高まり、少しばかりの気合いも入りました。実は、これは先生の戦略だったのですね。1年後に開かれた、先生方と受講生の交流パーティ-では、決してカタコトではない、流暢な先生の日本語の会話をお聞きして、非常に驚いたと同時に、その様な計らいを有難く感じました。
レッスンでは、繰り返し「フランス人は、日本人みたいに優しくない上に、そう簡単に助けてもくれないから、とにかく伝えたい事は時間を掛けても、どんな言葉でも良いから自分から伝えようとする事が大切よ」と仰っていました。これは、果たして前述の様なホワイト・ライ(=罪のない嘘)であったのでしょうか。実際にパリで暮しを始めて、日本では起こり得ぬトラブルの発生が、あちらでは日常茶飯事であると知り、その際に彼女の言葉がどれほど教訓として生かされたかわかりません。ただ、大都市のパリでは、決して冷たい人ばかりではなく、むしろ目の前の誰かが本当に困っていれば、何とかして助けようと手を貸してくれる人が、東京よりも遥かに多い様に、私には感じられました。ですから、ここでもやはり彼女は小さな嘘をついて、フランス人を貶めて、私が困難に立ち向かえるに鍛えて下さったという事がわかりました。
さて、ネイティブ・スピーカーではない者が、他国の言語を習得する際に、秘訣となるものが、果たしてあるのでしょうか。留学をする等、現地で実際に生活を送る事が、語学レベルの向上に繋がるというのは確かです。数ヶ月の間、暮らしているうちに、勉強仲間や友人、また恋人ができ、もっと仲良くなりたい、もっと相手に自分の事を理解してほしい、という気持ちが生まれれば、発音が苦手でも自らコミュニケーションを図ろうと積極的にもなり、モチベーションも高められて、そのうちに日本人には聞き取りが難しい、彼らの早いスピードの話し方にもついてゆける様になれるという気がします。その様に、いわば実践の場が与えられて、トレーニングを重ねるうちに、着実に上達はしてゆくはずです。
しかしながら、それだけでは、いささか不充分であるかとも感じています。では、何が足りないのでしょうか。それは、ただシンプルに「危機感」です。あまりに夢のない、現実的な結論で恐縮ですが、人が何かを克服しようとする際に、威力を発揮するのは、まさにこの危機感ではないかと、自身のこれまでの体験から、その様に思う訳です。語学における、標準的な必要性というものを上回るこの危機感とは、「その言語が話せなければ、あなたの身に困難が降りかかる」、即ち留学に関して言うのであれば、「この講義の内容を聞き取れなければ、単位を落として退学させられる、(学費さえ納めていれば何年も留年できると言った有難い制度があるのは、恐らく日本だけでしょうか…)」等の意味になり、必要性というものがより強化されると、その最上級としての「危機感」が生まれるのではないかと考えます。私自身は、危機感を人を脅かすものというより、むしろ鼓舞させるポジティブなものと、この場合は捉えます。
リートで親しんでいるドイツ語や、またイタリア語にも独学でチャレンジしながら、少しだけマルチリンガルになれる事を夢見ていますが、その肝心な、良い意味での危機感は、まだみじんも感じられず… 習得への道は果てしなく遠い今日この頃です。
2019.10.22 23:05
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