コラム

ボランティアは誰のために?

本年は、全国各地において、台風や地震の被害が発生しています。
災害はいつ起こるか予測のつかないものですが、しかし訪れる時は到来するのですから、自然を前にして人間の力は及びません。
全ての地域の人々が、リアリティを持った「我が事」として、災害を認識する様になったのは、恐らく21世紀に入って少し経ってからではないでしょうか。

被災地では、専門的な技術や知識を駆使して救済にあたるプロフェッショナルな方から、若い学生の有志まで、様々なボランティアの方々が活躍されています。
「自己満足と違わないのではないか」という厳しい声も聞かれ、いわゆるノン・プロフェッショナルのボランティアの存在の是非が問われる昨今ですが、しかしその中には数十年にも渡る経験によって、プロフェッショナルを遥か上回る能力を発揮されている方も少なからずいらっしゃいますし、何より“助けたい”という利他の気持ちを行動に移すというパワーそのものが、人々を救うための希望に繋がっているのではないかと考えます。

“ボランティア”という日本語の言葉について、改めて調べてみると「無償で自発的に社会活動に参加したり、また技術や知識を提供する事」(厚労省)という意味となっています。
或いは、交通費等が支給される場合は、有償ボランティアとも呼ばれるのだそうです。
語源は、ラテン語の“ボランタス”で、ここから英語のボランティアという単語が生まれました。
ボランティアは志願兵という意味で使われ、徴集兵の対義語としてあるそうですが、フランス語にもボロンテという単語があり、こちらは意思や喜びと言ったものを表しています。
両国とも、ネイティブの感覚では「自ら進んで、意欲的に(何かをする)」というニュアンスが強い様です。

私も幼い頃より、全くの素人として参加するものから、プロフェッショナルとしての立場で関わるものまで、日本、フランスまたイギリスにおいて、数多くのボランティアの経験をさせて頂きました。
そして、様々な役割を担う中で、或るひとつの事が明確になりました。
それは、至ってシンプルな事実で、ボランティアの側に、例えあふれんばかりの熱意があろうとも、決して受け手のニーズを超えて、それ以上に何かをしようと欲すべきではないという事でした。
そのためにも、まずは相手が何を一番必要としているか、正確に把握する事が肝心となります。
従って、それが分からないうちは、奉仕のつもりでしている事が、まるで不要な荷物を置いて帰る様な行いとなり、それは明らかに救済としての機能を果たしていないのと同じになるのです。
「私の思い」だけが満たされるアクションを、相手も欲しているかは、全くもって定かではありません。
こちらが差し出せるものと、相手側のニーズが、決してどちらかに傾くという事をせず、まっすぐバランスを保てる様に、プロパーな意味での目的を果たせる精神が、殊にボランティアの側には求められていると言えるのではないでしょうか。

しかしながら… それにも関わらず、もし誰かを必要とする方がいらっしゃると知れば、すぐにでも駆けつけたいと願う心や、またボランティアに関わらせて頂く者としての信念は、失われるべきものではないと信じる事は、やはり自己中心的な考えだと捉えられてしまうのでしょうか…。

2018.08.31 23:55

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