コラム

「夕があり、朝があった」日本初演に向けて

 「夕があり、朝があった」
これは、新約聖書の「創世記」に記されている有名なフレーズです。
神が、この地に生命を与え、生ける物を創られたお話です。
そして、この物語をモチーフにして作られた三重奏曲が、4月4日に日本で初演されます。
フランスで活躍するチェリストで作曲家でもあられる、ド・ヴィリアンクール氏によって、フルート、チェロとピアノの為に書かれた作品ですが、氏は自作自演者として当日は舞台に上がられ、私もピアノの演奏でお手伝いをさせて頂く事になりました。

現代音楽と聞くと、所謂、シュルレアリズムの絵画の様な前衛的、或いは抽象的なものをイメージさせる事が多いかと思いますが、この作品は旋律的要素が存分に取り入れられており、またフルートが尺八の様な音を奏でたり、ピアノが銅鑼の様な音を表現する等、大変東洋的な香のする、新しいけれど何か我々日本人にとって馴染み深い響きを見出す事が出来る様な、全体的にはアグレッシブですが、大変聴き易く美しい音楽です。

曲は全三楽章から成っていますが、冒頭の混沌(カオス)の中の静寂から、次第に何かが創り出され、生まれてくる様子が見事に描かれているという印象を持ちました。
フルートとチェロとピアノが織り成すトリオの世界は、1+1+1=3を遥かに超えて、1+1+1 =∞(無限大)を目指されたものだと言えるでしょう。

この作品を初演をさせて頂く「コルトー音楽祭」は、日頃は温泉の地で知られる山口県の川棚という町に、コルトーと地元の方々とのあたたかい出逢いが生んだご縁から、まさに音楽の存在が全く「無」である所から、コルトーのエスプリを受け継ぎ音楽を発信してゆくべく、多くの方々のご尽力によってスタートされました。
「夕があり、朝があった」
作品のコンセプトである創世記は、まさにこの音楽祭に相応しく、「これから何かがこの地に新しく生まれるのだ」という予感を、大いに表している様な気が致します。

バロックからロマン派迄の時代は、専ら自作自演が主流でしたが、現代では作曲家による自作の演奏は極めて稀有な機会となりました。
演奏者にとっても、作曲家ご自身と共演させて頂く事により、音符を音にする作業から、まさに今この場で新しく生まれる音楽というものを体感し、それはまた大変貴重な学びとなります。

「医学は過去を嘲笑し、芸術は過去を賞賛し過ぎる」
これは、私が常日頃から感じる事のひとつです。
医学の進歩は目覚ましく、日々新しい研究の成果によって人々が救われる道が開ける事に対して、音楽はモーツァルトやショパンを超えられる作品が果たしてあるのか否か判らないまま、そうした未知の中での創作に於いての既視(聴)感との戦いに、いかに打ち勝つか、という違いがあります。

現代音楽には格別の愛情がある者として、「聴かず嫌い」や偏った印象を持たれている方にこそ、是非この三重奏曲をご鑑賞頂けたら嬉しく思っております。
一連のストーリーを思い描きながら、スケールの大きな「宇宙との繋がり」を、作曲者自身の奏でる生の音と共に感じられてみては如何でしょうか。


2013.03.25 21:35

前の情報       次の情報

新着コラム

2025.07.15
音は可視化できる?
2025.06.14
「コルトーを偲ぶ会2025」のお知らせ
2025.05.17
間(ま)に見られる日本の文化
2025.04.15
考える力の真価について
2025.03.16
「神が宿る島」に思いを馳せる

バックナンバー