コラム

対話から生み出されるアンサンブル演奏の魅力

フランス留学中は、演劇の好きな友人に誘われて、よく週末には芝居を観に出掛けていた。
その友人のお陰で、コメディ・フランセーズで観る一流の俳優によるものから、知人が立ち上げた小さな劇団の舞台まで、数々の作品に触れる事が出来た。
はじめは、母国語でない仏語の台詞を理解するのに本当に苦労したが、それでも観ていると迫真の演技に引き込まれ、次第にその面白さに惹かれていった。

演劇の舞台は、音楽の演奏と重なる所が多いという事を、今更ながら感じる。
まずは、役になりきり、感情移入出来る所まで台本を覚えて、台詞を自分のものとする。
それは、音楽では、楽譜を読んでアナリーゼをし、解釈をしてから、音にしてみたりして、暗譜をするという作業だ。
例えば、一人芝居、或いはリサイタルであると、まずアーティスト自身が作品に向き合い、まず作者との対話、第一番目の対話が生まれる。
そして模索して、どうにか生まれた解釈のもとに、ある種の個人的な必然が生まれ、芝居または演奏が漸く誕生する。
それから、パフォーマンスを披露し、今度は客席のお客様とのコミュニケーションによって、第二番目の対話が生まれる。
そこから、真の意味での演劇、また演奏という行為が始まるのだ。

これが、登場人物が二人以上である芝居や、デュオ等のアンサンブルになると、上記に加え、もうひとつの対話が加えられる。
それは何か。
アーティスト同士によって、生み出される対話だ。
舞台を作り上げる上で、ああでもないこうでもないと、時には議論を交わしながら、最高のものにすべく、互いのヴィジョンを限りなく近いものに到達させようとするこの行為こそが、音楽で言えば、アンサンブル音楽の演奏の醍醐味ではないかと思っている。

ピアノ伴奏者という視点から言えば、その対話から生み出されるひとつひとつから、共演者の音楽観、更に拡げれば世界観の様なものを教えてもらっている気がしている。
それは、個々の世界観の共有となり、非常に価値のあるものだと思う。

リサイタルという言葉は、超絶技巧のピアニストであったリストによる造語だと言われているが、それ自体からも分かる様に、ピアノは楽器の王様で、独奏曲は勿論の事、交響曲からオペラ、または歌曲まで何でも一台で表現出来てしまう楽器であるが故に、一人で行うというリサイタル形式のコンサートが誕生してしまった。
一人で奏する音楽は、ともすれば自己完結の最たるもので、だからこそ、アンサンブル演奏で互いの世界観を認め分かち合う事は、音楽が生み出す素晴らしい産物だと感じている。

デュオの演奏が、単に1+1=2  という事ではなく、1+1=∞(無限大)にもなり得るという、限りない可能性を目指して、これからも共演させて頂くアーティストの方々と、音楽の内と外で様々な対話を続けられたら心より光栄に思う。




2011.01.25 22:25

前の情報       次の情報

新着コラム

2025.07.15
音は可視化できる?
2025.06.14
「コルトーを偲ぶ会2025」のお知らせ
2025.05.17
間(ま)に見られる日本の文化
2025.04.15
考える力の真価について
2025.03.16
「神が宿る島」に思いを馳せる

バックナンバー