コラム

音を聴けば全てがわかる?

人は目覚めてから眠りにつくまで(或いは眠っている間もそうですが)、様々な音を意識的また無意識的に聴いて生活しています。大都市に暮らせば、尚更の事ですが、騒音にまみれながら、日々を過ごしていると言っても過言ではないかもしれません。
日本では、駅のホームや電車、また百貨店等で、音楽やアナウンスを耳にしない事は無いに等しいという環境ですが、ヨーロッパでは、これらの場所はきわめて静寂が保たれており、大変落ち着いた気持ちで過ごす事ができます。

よく周囲の方々は、私の長所だと言って下さいますが、一種の職業病なのでしょうか… あらゆる些細な音に良くも悪くも敏感に反応して、耳が全て拾ってしまうのです。そして、これらの音は勝手に「ド・レ・ミ…」と聴こえ、また流れているBGMがppp(ピアニッシシモ)のか弱い音量であるにも関わらず、クラシック音楽の作品となれば、「あれ、これは誰が演奏しているのだろう? えっ?どうしてこのテンポの設定…?」等と分析を始めてしまい、心が休まりません。
ですから、BGMを始め、機械から流れる音というものがほぼ皆無であるパリの生活が、時折恋しくなる事があります。

「歩き方はその人を表す」と言いますが、少し意味合いは違うかもしれませんけれど、自身のこの耳のお陰で、その “歩く音” だけで、目の前の方が一体何の職業に付かれているかを、私は言い当てる事ができます。
とは申しましても、さすがに全て識別するのは難しいと自覚しておりますが、例えば次の様なシチュエーションにおいて、演奏のために訪問させて頂く病院で、リハーサルの際のピアノ練習に関心を持って近寄って下さる患者さん、医師の先生、看護師さん、事務員のいずれの方々も、私は鍵盤の方を見たままでお姿を拝見せずとも、(当然、お召しになっている物で一目瞭然ですが!)、その方がどなたであるかが、こちらは “一聴” 瞭然、すぐにわかります。
では、何を聴いて判別できると言うのでしょう? 答えは簡単です。その “足音” の違いです。
何とも言葉では形容し難いのですが、その方の社会的地位や、或いはその時点で置かれている心の状態とも言うべきものが、ステップを踏む際の音に表れるのです。また、歩く速さや力強さによって、治療を受けている側の方か、反対に治療を施す側の方であるのかがよくわかります。

しかしながら、その足音よりも何よりも… プロフェッショナルな楽器奏者か否かを問わず、どなたでも何かひとつ楽器を演奏され、その放たれる音を聴けば、偽りのないその人自身が表れるという事をご存じでしたでしょうか。不思議な事に、これは疑い様のない事実であります。
一見気難しい人が優しい音色で穏やかな音楽を奏でたり、その反対も然りで、いつも明るく朗らかな人が何か陰のある悲し気な音色ばかりを好んで奏する様な事が往々にしてあります。
そして、誰しも重ねる人生の年月は、ワインが熟成する様に、音に様々なテイストと香りを与えます。国際コンクールの賞を総なめにし、溢れんばかりの才能を持つ若い奏者の、しかしひたすら勢いが良いだけの強音の羅列は、例え無名でも80歳の奏者から生み出された、深い精神性と演奏哲学を合わせ持つ美しい弱音には叶いません。

コンサートの舞台では、演奏能力のみならず、言わばそのアーティストの暮らしぶりや人間性までもが全て曝け出され、聴衆には何もかもが見透かされてしまう訳ですから、奏者にとっては一回一回が真剣勝負となりますし、己(おのれ)と向き合う場となる事は言うまでもありません。
大変厳しい道ですが、故に、芸術に携わる者は、常に内面を磨いてゆかなければならないのです。
修行の日々はまだまだ続きます…


2019.05.26 23:55

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