コラム

音楽は国境を越えて

「プログラムに日本の作品を入れるのは如何ですか? 聴衆の皆さんにも喜んで頂けると思うのですが・・・」
ロンドンで演奏をさせて頂くコンサートでは、主催者からそう言われる事も多い様に感じている。
実は、武満徹さんの作品に本格的に取り組む事になったのも、コンサートを手伝ってくれたイギリス人音楽愛好家からの提案がきっかけであった。
イギリスでは、以前BBC放送の番組で特集が組まれた事から、武満さんの名前は一般にも広く浸透している。
渡英して、実際に邦人作品を披露し、作品の素晴らしさを知る機会を得られたというのは、何という灯台下暗しであろうか。

武満徹さんは「ノヴェンバー・ステップス」の代表作品をはじめ、西洋と日本の両者の音楽の特長を織り交ぜ、融合させた上で、真の意味でのボーダレス・ミュージックを生み出された方だ。
邦楽を少しでも学ばれた機会のある人は、西洋音楽との根本的な違いがどの様なもので、いかに異なるものであるか、よくご存じであろう。
武満さんは、ご自身のエッセイで、西洋音楽と邦楽を同じベースにのせて創作を行う事の大変な苦労について語っておられる。

私の母は、自身とは対照的に“和”を愛する人間で、趣味で箏を弾くのだが、師範の免許を持っているほどの腕前だ。
私も、小さい頃は母に習い、少しだけなら曲を弾く事も出来た。
最初に習ったのは「さくらさくら」で、譜面を見ながらさらう事から始まった。
先にピアノに親しんでいた私は、不思議に思ったのが、譜面におたまじゃくしの音符がない事であった。
箏の譜面は、全ての音が漢数字で、しかも縦に書かれている。
譜読みは、まず漢数字がどこの弦を弾くのかを知るという事からスタートした。
ところが、つっかえながらでも弾いていると、次第に旋律を覚えてしまい、数字を音にする作業がややこしくなって、疲れた私は、ドレミの音名に当てはめて、とうとう歌いながら弾き始めてしまった。
自分にとっては、そちらの方がとてもシンプルで、分かり易かったからだ。
人間は、初めに覚えたやり方意外に、適応出来る様になるまでには、子供でも時間を要するものである。

武満さんの作品を演奏させて頂いていて強く感じる事は、現代の欧米化された日本の文化に対するアンチテーゼではないかという事。
現在の日本では、欧米化という言葉も必要のない位、西洋文化は我々の生活に完全に溶け込み、東洋との違いもとりたてて意識する事がないほどになったと言えるだろう。
しかし、その異質なもの同士が、互いをリスペクトしつつ、共存するというレヴェルに、実際は到達したのであろうか。

以前、作曲家の湯浅譲二さんのレクチャーにお伺いした際、次の様な事を仰っておられたのを思い出す。
「今の日本では、新しいものを生み出そうとしても、全てがデジャ・ヴュ、つまり既視感に苛まれて、本当の意味で新しいものを創造するというのは非常に困難。音楽も、欧米に影響された既聴感のある作品しか生まれていない気がしてならないが、自分自身は最後まで真に独創性にこだわって作曲を続けてゆきたい。」

我々の世代は、そう望むにしろ望まないにしろ、生まれた時から西洋文化と常に共存して、影響を受け日々を暮らしている。
日本の音楽の良さを、海外に出て漸く知るというのも、ある意味で必然の事であるのかもしれない。

2011.03.30 21:20

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