コラム

「クラシック音楽の楽しみ方」はあるのか

「クラシック音楽というとあまり馴染みがないのですが、どうすれば音楽を聴いて楽しむ事が出来るでしょうか?」
以前、この様な質問を聴衆の方から頂いた事がある。

答えは・・・ 「貴方次第です」

そのシンプルでありながら、難しい質問に、正解というものを見つけるのは、私には容易でない様に思える。

本屋に行けば、必ずと言ってよい程、ベストセラーのコーナーに、指南書、所謂ハウツー本が並んでいる。
これは、日本特有の現象であるのかもしれない。
それだけ、我々は形から入り、いわば物事の方法や作法の様なものをまず尊び、重んじる国民性の表れであろう。

音楽は、「音を楽しむ」と綴るが、耳から入ってきた音を享受し、感覚的現象として、楽しみを覚えられるものである。
よって、この音楽は心地良い、であるとか、反対に不快であるといった事を感じるのは、人により異なるのは必然の事だ。

クラシック音楽を本当の意味で楽しむ事が出来る様になるには、この堅苦しいと言われる音楽に、少しだけ自分から近づいてゆく事、即ちもっと能動的に音楽に触れてみようとする所から始まるのではないかと思う。

もともと西洋で生まれたものであるから故という訳ではないが、クラシック音楽をただ受動的なスタンスで聴くのと、そうでないのとでは、「楽しみ」として感じられるものが違う様に思う。
西洋のメンタリティ-を幾分か自分の中に取り入れて、積極的にまず音楽に関わってみる事。
そこに、作法の様なものは、存在しなくとも良い筈だ。
公共のホールで聴くのならば、周りの人の迷惑にならない様、少しのマナーを守りさえすれば良いだけの事である。

コンサートで、トークの中で曲目の解説を挟むのは、聴衆の方々に、より能動的にコンサートに参加して頂きたい、奏者と皆様で一緒になってパフォーマンスを作り、その状態の中で鑑賞をして頂きたいと、音楽家が心から願っているからだ。
聴こえてくる音に耳を傾け、音楽を、あるひとときに皆で共有する事。
それもまた醍醐味であり、理屈は要らない様に思う。

再現芸術として、楽譜という残された遺産から、音楽をどの様に表現するか、常に模索する一方で、また人間と過去の大作曲家が創造した作品とを繋げる架け橋としての、現代の多様化された時代に求められた奏者の役割について、これからもなお答えを求めて、理想を探してゆきたいと思う。



2011.12.19 23:50

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