コラム

美しい声を求めて

自宅には、一応ですがテレビが置いてあるものの、災害時以外には、普段はほとんど観る習慣がないため、最近ではいわば家具の様な存在になっています。
個人的には、テレビから聴こえてくる騒々しい声があまり得意ではありません。日頃から、周りの全ての音を無意識に聴取してしまうのが、音楽家のさがでして、どちらかと言うと音の無い静かな空間で過ごしながら、家ではリラックスを図りたいと望みます。

声と言えば、ラジオも然りですが、例えば車中で聴きながら、耳に心地良い柔らかな声で話す方がいらっしゃると、何とも羨ましく思います。
小学生の頃にお習いしていたソルフェージュの先生に、「あなたの声は随分とハスキーだわね!」、と指摘されて以来、自分の声というものについて意識し始めました。しかし当時、同じクラスには「歌が上手だ」と言ってくれる同級生がおり、本当にそうかなあ、と半信半疑で友人と一緒にレコーダーに録音してみた所、それを聴いてびっくり、私はなんと美しくない「だみ声」を出しているのかと、真実を知り、いささかショックを受けました。子供ながらに、声楽家を目指さなくて本当に良かった、と心の底から思ったのでした…。

ですから、リートで共演させて頂く歌手の方々は、歌はもちろんですが、お話しされる声も大変澄んでいて美しく、コンサートで作品の解説をされる際には、遠くまで声がよく届くので、お客様も大変聴きやすいだろうと確信します。やはりトレーニングされた喉から発せられる声と、そうでない自身の声は違うのだなあという事を、毎回強く認識させられるのです。

自らの声を自分が聴くのと、他人が聴くのでは、聴こえ方が全く異なるという事はよく知られていますが、それは以下の理由からだそうです。
音の伝達経路には、空気の振動が鼓膜に伝わる気導音と、骨の振動が伝わる骨導音があり、自らの声を聴く際には、この2つの経路から伝わる音が混ざり合って聴こえます。従って、録音では、気導音からのみ伝わる声を聴く様になるため、それで同じ声でも異なって聴こえるという事になるのですね。

ある地方のラジオ局で、時折、演奏とお話をさせて頂く機会がありますが、自身の演奏の録音を聴く事には何のためらいもありませんし、じっくりと批判的に聴くのが常でもありますが、未だトークだけは聴いてみようという勇気が持てず、録音して頂いた話のパートの直前で、聴くのを止めてしまう自身がいます。
テレビでニュースを読むアナウンサーの方々は、言葉を発する際に、「ソ」の音の高さを基準にして話すのだという事を、どなたかの著書で目にしました。例えば、日本の選手がオリンピックで金メダルを取った等という明るいニュースでは、それよりも高い「ラ」の音で視聴者に伝える必要があり、反対に事件の様な深刻なニュースですと、「ソ」よりも下げて「ミ」くらいの音に声を設定するのだそうです。それほど、ニュースの内容を表す言葉以上に、声そのものが人々に伝達する力を備えているという事の証であるかものしれません。
元々、私の声は低い方でして、またフランスでは割と静かなトーンで落ち着いて話す文化があり、それが染みついてしまっているため、既にその基準の「ソ」でさえも、随分高いなあと感じてしまいます。やはり、それくらい高い声で話した方が、日本の方々には届きやすくなるのでしょうね。
しかしながら、いつの日かボイストレーニングなるものを受けて、ラジオで美しく話す事ができた日には、録音されたその声を堂々と聴いてみたいという、ささやかな願いを持ち続けてはいます…。

2024.09.30 23:55

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